岡崎市議会 2019-08-30 08月30日-08号
市長さんは、地元ということで鮮明に覚えてみえると思いますが、私は、昭和30年前半のことで、先ほど浅い記憶しかないと申し上げましたが、旧警察署は、岡崎空襲の爪跡がまだまだ残っていたことを覚えております。 (2)の現在地への移転の経緯と現状であります。 岡崎警察署が康生地区から現在の場所に移転した経緯をお伺いいたします。 ○議長(太田俊昭) 籾井都市整備部長。
市長さんは、地元ということで鮮明に覚えてみえると思いますが、私は、昭和30年前半のことで、先ほど浅い記憶しかないと申し上げましたが、旧警察署は、岡崎空襲の爪跡がまだまだ残っていたことを覚えております。 (2)の現在地への移転の経緯と現状であります。 岡崎警察署が康生地区から現在の場所に移転した経緯をお伺いいたします。 ○議長(太田俊昭) 籾井都市整備部長。
を守り、教育、文化、スポーツ施設の充実を図ることについて (1) 学校教育 (2) 教育施設 (3) 経済的支援 (4) スポーツ施設 5 自治権拡充、清潔で市民本位の行政改革を進めることについて (1) 民主主義と市民参加 (2) 公契約条例 (3) 外国人の受け入れ (4) 女性の人権 (5) 新たな財源 6 平和行政に力を注ぐことについて (1) 憲法の遵守 (2) 岡崎空襲
岡崎空襲では280名が犠牲となり、毎年岡崎市と遺族連合会の共催による岡崎市平和祈念式が行われています。 さらに、23年前のきょう、6月22日に岡崎市議会として平和都市実現に関する決議を行いました。決議の中では、唯一の被爆国として日本国憲法に掲げられた平和主義の根幹を市民生活の中に生かすことが、地方自治の基本条件の一つであると強く認識するとうたわれています。
岡崎空襲の保存については、これまで何度も要望をしてきました。昔と今とこれからの岡崎の歴史を残す場所が、実は岡崎の中にはありません。戦争の時代も、平和の時代も、その町のルーツとして語り伝える必要があると思います。大きな箱物をつくれと言っているのではありませんが、岡崎市の平和記念館、もしくは歴史資料館、あるいは歴史博物館などをつくるべきと考えます。お考えをお聞かせください。
岡崎市は、岡崎空襲やさきの戦争の遺品、歴史的な遺産を市民から寄託されたもの、現在美術博物館の収蔵庫に保管をされているかと思います。寄託は今どれほどになっているのか、また、その活用についてもお聞かせください。 ○副議長(畔柳敏彦) 安藤社会文化部長。 ◎社会文化部長(安藤英彦) 戦争に関する資料につきましては、美術博物館で現在573点所蔵しております。
岡崎空襲の日から終戦記念日まで、平和都市宣言をした表示として市役所庁舎に平和祈念の懸垂幕をかけるとのことです。日本共産党市議団はかねてより、市長による平和都市宣言、非核都市宣言の要求をしてきました。1995年の議会の議決と同じ思いであると言ってこられましたので、そのあかしとしての看板などの設置を求めてきました。今回、一歩前進と考えます。 1項7目財産管理費、岩津地域活動拠点施設基本計画策定です。
戦後72年、次世代に岡崎空襲等を語り継ぐことに時間の限界が来ております。子供たちへの平和教育について、具体的にどのようにしているのか、お聞かせください。 また、毎年夏休みに戦争体験を語る会が市民団体によって行われ、りぶらロビーにはパネルの展示等が行われています。高齢化している岡崎空襲の語り部のこの活動にどう支援をしていくのか、お聞かせください。 (2)中学生の職場体験についてです。
戦後60年には、岡崎市は「岡崎空襲を知っていますか」という、このような冊子をつくりました。そして、郷土館で企画展を約2カ月余り開催をいたしました。 戦後70年のことし、各自治体はさまざまな平和展に取り組んでおりますが、安城市はことし、戦争体験者の話を職員が聞き取り、つづった文集を発行するということであります。岡崎市は、どのような取り組みをし、また語り継ぐ努力をしたのかお聞かせください。
ここで、過去から現在のリバーフロント計画に至る概況を見てみますと、中央緑道は岡崎市の中心地域を南北に通る緑道の愛称で、防災街路として岡崎空襲後の昭和21年から昭和32年にかけて戦災復興土地区画整理事業により籠田公園とともに整備され、昭和52年には岡崎市新総合計画が策定され、緑の基本ゾーンの整備の中に乙川河川敷公園を都市施設として整備など、その活用が計画されております。
の住所・氏名備考16介護・福祉・医療など社会保障の施策拡充についての意見書の提出について名古屋市熱田区沢下町9-7 労働会館東館3階301号 愛知自治体キャラバン実行委員会 代表者 森谷光夫 17「売地内における仮設構造物の安全性指導」に関することについて岡崎市材木町1-3-1 シャンボール康生506号 都築克嘉 18街の緑と防災のための中央緑道の存続を求めることについて岡崎市中町9-2-11 岡崎空襲
このほかに、図書館が所蔵する岡崎空襲関係資料は、文中に記述があるものを含めまして、図書、新聞、パンフレット、合わせて18点でございます。 以上です。 ○議長(新海正春) 鈴木雅子議員。 ◆4番(鈴木雅子) 岡崎空襲に特化した収集保存というのがされてないというふうに思うんですね。岡崎市の100年の歴史の中で最も次の世代に語り伝えていかなければならないのが、私はこの岡崎空襲ではないかと思うんです。
8月に市民団体の「岡崎空襲を記録する会」が毎年企画されている資料展示会なんですけれども、ことしはむらさきかんでやりました。また、りぶらでもやったんですけれども、5年間連続でりぶらでやらせていただいているそうです。ことしも4,000名を超える方たちが足をとめて戦争展を見ていただいたんですが、市長はこれら市民が長年開催をしておられる岡崎空襲の戦争展をごらんになったことはあるでしょうか。
その活用として、市民が行った岡崎空襲展に昨年この被爆者パネルを貸し出されました。このことは、今までになく、一歩前進であります。現在、西庁舎1階の展示スペースが広くあいています。岡崎市の企画として、8月に原爆展示を行ってはどうでしょうか、お考えをお聞かせください。 (3)岡崎空襲の記録についてです。
1、岡崎空襲の関係資料の相当数の保存は、「岡崎空襲を記録する会」によって個人の家に保存されていますが、本来でいえば、岡崎市が責任を持って保存すべきではないでしょうか。保存や常設展示についての考えをお聞かせください。 2、岡崎空襲の実態を後世に伝えるための子供たちへの平和教育を具体的にどう行っているのか、お聞かせください。 次に、社会保障について伺います。
むかし館に岡崎空襲の展示についてです。 ことしは岡崎空襲63周年になります。年々、当時のことを体験している市民が死亡され、少なくなってきています。こうした悲惨な戦争体験を語り継ぐのは、現在に生きる者の使命であり、ことし秋にオープンするりぶらのむかし館で岡崎空襲の歴史を市民に展示することは意義あることだと考えますが、見解をお示しください。 以上で、第1次質問を終わります。
昨年は、郷土館で戦後60周年の「岡崎空襲展」が行われました。ことしは市制90周年です。岡崎市の歴史の3分の1近くは戦争の時代でもありました。市役所や情報センターのロビーで展示をし、来庁の市民に広く見ていただく企画ができないでしょうか。 市内のある学校では、戦争で学校が焼かれたカンボジアのことを学んで、子供たちが自主的にカンボジアの子供たちに学校を贈ろうと運動していると聞きました。
ことしは終戦60周年ということで、行政においても郷土館において岡崎空襲をテーマにした戦争展を開催されたことを評価するものであり、担当の職員の皆さんの御努力に改めてお礼を申し上げます。私は、この取り組みを一過性のものにすることなく、さらに充実させていく立場から以下質問します。 郷土館で開催された企画展について、参加者数、評価する点、問題点についてどのように総括しているのか、お示しください。
①ことしは、太平洋戦争終結、岡崎空襲60周年の年です。さきの12月議会で、郷土館で実施されている戦争展に岡崎空襲関連の資料や記録も展示し、広く市民に資料提供を呼びかけてはどうかと提案いたしました。2月15日付でその記事が市政だよりに載って、取り組みがされています。資料収集の現状はどうなっているのか。 ②ことし行われる戦争展の企画内容についてお示しください。
来年は、太平洋戦争終結、そして岡崎空襲60周年という節目の年です。当時被災された方の多くが70歳から80歳となり、直接空襲を体験された方は年を経るごとに少なくなっていき、岡崎空襲の風化が心配されるところとなってきました。こうした状況を考えると、若者や子供たちに戦争の悲惨さや岡崎空襲の実態を知らせ、市民の皆さんに平和の意識を啓発していくことの意義と行政の責任は大きなものとなっていると考えます。
8平和資料館(室)の建設または設置と戦災死亡者の正確な調査について (岡崎空襲の慰霊碑を守る会 会長 梅田章次)・本市における戦争の被害を明確にし、広く戦争の悲惨さを後世に伝えることは重要と考える。 ・戦後60年も間近であり、戦後の一つの節目として平和資料館の建設を望む。 ・資料館の建設を望むが、財政的に厳しい時であり、現状の中で余裕のある施設を利用し、展示することも検討されたい。